いろんな事がありやした。ロックダウンを振り返り。
本日は9月22日。ニュージーランドは朝は冷え込みますが昼間は春の陽気が感じられる日々となっております。桜なんかも咲いていて日本の春を少しだけ感じます。花粉も飛び始めていますが笑笑。
さて、久しぶりの投稿です。皆さんお元気でしょうか。はい、僕は元気です。はっぁい!
という事で、ニュージーランドに来てから早くも半年が経ってしまいました。時が過ぎるのはあっという間で、楽しいこともありましたが、辛いことも悲しいことも多々あった日々でした。少々、あのウイルスのせいでプランが台無しになりましたが、、、。まぁ、ワーホリもビザの期限が半年を切りましたので少しここで、僕のニュージーランドでのワーホリライフを振り返りたいと思います。
Let’s turn back!
少しばかり不安だった3月1日の到着日
コロナ。この言葉はもう聞くだけでうんざりしますよね。もうこの年はこれに始まり、これに揺るがされ、これに終わっていくことでしょう。僕もその揺るがされた一人です。僕が日本にいる頃の2月は感染者が発見された豪華客船のダイヤモンドプリンセス号が横浜にて停泊し、何人もの人々が船内から出ることができず、船内で感染していくという悲劇が起こりました。これによって日本国内のコロナへの緊張感が一気に高まりました。全国民、いや世界中が不安になっていたと思います。なんてバットタイミングなんだ!僕自身も当時、このままニュージーランドに入国できるのか、仮に入国できたとしても現地の人からどのように思われるのか、ホームステイ先の家族は受け入れてくれるのか、いろんな不安でいっぱいでした。
しかしながら、いざこっちに来てみると思ったよりもみんな普通に生活していて少し呆気にとられました。成田空港ではみんなマスクしていたのに、誰もしていないし、アジア人差別もそんな感じることはありませんでした。(内心ではどう思われているかすごくびくびくしていましたが笑笑。)3月初めはコロナ騒ぎは起こっていなかったように思われます。また、ホームステイ先の家族も笑顔で出迎えてくれてすごく安心したのを覚えています。
語学学校で突然の休校
ニュージーランドでの生活が始まり、仕事を見つける前に5週間だけ語学学校に通うことにしていたので到着日の翌日から早速ネルソンの語学学校に通い始めました。当時の在校生の数はおよそ80人くらいでしょうか。正確な人数は覚えていませんがかなりの生徒がいたのを覚えています。ヨーロッパ系やアジア系、ラテン系など様々な国の生徒がいたのでごちゃごちゃしていて超インターナショナルでした。友達もできてバーベキューしたり、学校のアクテビティに参加したりと中々充実した日々を送っていました。また、授業の内容もとてもよく、わかりやすいし、先生が毎日英語で書いた日記を添削してくれたので、自分自身で英語力が上がっているのを実感できました。もっと語学学校に通う期間を伸ばそうかなとも考えていました。
しかし、やつはやってくるのです。そう『やつの名は。』、、、子・露・菜。
コロナ!
学校に通い始めて3週間が過ぎた頃、ニュージーランドの政府が動き始めました。そう、段階的なロックダウンを開始させたのです。それに伴い、もちろん学校もクローズ。自宅から授業を受けるオンライン授業が始まりました。3週間しか経っていないのに〜泣。何人かの子はオンライン授業は意味がないと言い、休暇を取る子もいました。オンライン授業と学校でダイレクトに受ける授業では授業の濃さやスピード感が全然違うため、僕自身も正直意味がないなと感じていましたが、家にいてもやることがないので、一緒にホームステイしていた韓国人のEllyとオンライン授業を受けていました。少しでも救いだったのがEllyがいたことにより授業の内容も話し合いながら受けられ、英語で会話することができたので英語レベルを維持はできたと思います。
学校の授業3週間、オンライン授業2週間。とても変化球な学校生活でしたが、いい先生に恵まれたこと、仲がいい友達ができたことが何よりの僕の財産です。また、お金が貯まったら来年にでも通おうかなと思います。
ロックダウンが始まった。
オンラインでの授業を終え、学校をオンラインで卒業した4月3日。この日から5月25日に仕事をスタートするまでの約2ヶ月間何もしない日々が始まりました。正直言って、この期間はとてもしんどかったです。当初の僕の学校卒業後のプランは北島に行ってキウイフルーツの収穫の仕事をしようかなと思っていました。めちゃニュージーランドっぽいですよね!しかし、ロックダウンのレベルは4。国内を移動することも、友達にも会う事ができないのです。なくなく、Stay homeを強いられる状況でした。なんて世界になってしまったのだろうかとため息しかつけませんでした。どこも行くこともできないし、このままホームステイ先の家族に長くお世話になることもできないなと悩んでいました。しかし、幸運なことにホストマザーが「この状況ではどこも引っ越す事ができないから、気にせずにこの状態が終わるまでここに住んでいいよ。」と言ってくれました。なんという鶴の一声でしょうか。その言葉を聞いたとき本当にこのホームステイ先にきて、なんて自分はラッキーなのだろうかと心底思いました。ジェニス(ホストマザー)とゴードン(ホストファザー)にはホント感謝しかなかったです。
住む場所は確保できましたが、次の問題は「仕事」でした。当然、ロックダウンのさなかに見つけることは困難でした。色々な求人情報が載っている仕事サイトを調べましたが中々良さそうな仕事は見つかりませんでした。エッセンシャルワークといって、稼働しなくてはならない仕事。例えば、フルーツピッキングなどのファーム系の仕事やスーパーでの仕事などは必要不可欠であるため、ロックダウン中でも求人はありました。しかし、ファームの仕事をするには車が必要だし、スーパーでの仕事は人と接触する仕事なのでもし感染した場合、ホストファミリーに迷惑がかかってしまう可能性がありました。どうすればいいのだろうかと途方に暮れていました。そんな時に語学学校でお世話になっていた日本人のマネージャーさんに連絡を取ってみることにしました。すると、「Sealordという魚工場なら求人募集しているよ〜。もともと学校に通っていた子がそこで働いているから連絡してみたら?」とアドバイスをいただきました。早速、その子に連絡をとってみました。すると、5月の下旬からなら工場で働ける可能性があるよと教えてくれました。本当にまわりには恵まれています。Sealordの話はまた別の投稿で書いているのでそちらを参照にしてみてください。とにかく、何も見通しも立たずにただ日々を浪費していたロックダウンの日々に比べて今働けていることはありがたいです。
アラートレベルについて
ロックダウンのアラートレベルは3月25日から4月27日まではレベル4。4月28日から5月13日まではレベル3。5月14日から6月8日までレベル2。そして、それ以降はレベル1とニュージーランドは段階的にロックダウンを行うことにより、8月あたりには新規感染者を0人まで押さえ込むことに成功しました。(今日の時点ではセカンドウェーブが来ているためレベル2にまた引き上がっています。)これは本当に政府の対策がいかに迅速で、優秀かが伺えますよね。
- レベル4 完全なる自主隔離。スーパーや薬局など生活に必要なお店は空いている状態。学校もクローズ状態。エッセンシャルワーク以外は経済活動を自粛。オンラインは可。
- レベル3 外出自粛。必要最低限の経済活動。外出時は、2mのソーシャルディスタンスとること。
- レベル2 公共の場では他人と距離を置く。可能な限りマスクを着用する。図書館などの公共施設は顧客の記録をとる。
- レベル1 ほぼほぼ通常通りに生活できるが、病気などの場合は決して学校や職場に行ってはいけない。
こんな感じに警戒レベルを分けることによって国民にわかりやすく対応を求める事ができます。僕は政治のことはあまり詳しくありませんが、国際的なニュースなどを見る限り、ほかの国に比べてコロナ対策に関しては成功しているように見えました。また、あまり感染者が増えなかったほかの理由として、人口自体が少ないということも考えられます。人口が約500万人と母体数が少ない国なので、感染者数も現時点で合計1,815人(今日の時点でのアクティブケースは65人、1,729人が回復済み、新規感染者0人)とほかの国に比べて数字は少なく感じられます。
僕自身、4月の時点で一時帰国を考えましたが、帰国をせずにニュージーランドで生活することを選んで正解だったと思います。
ロックダウン中にしていたこと
語学学校をオンラインで卒業した日(4月3日)から、Sealordで働き始める日(5月25日)までの約2ヶ月間空白の日々が続きました。正直、結構精神的にくるものがあってイライラしたり、将来を考えて落ち込んだりと感情の起伏が激しかったのを覚えています。もうあの時期には戻りたくないです、、、。さて、その期間何をしていたかというとなんか色々やっていました笑笑。
まず、最初に取り掛かったのが自分のモノクロの絵をPhotoshopを使って色を塗りたくってました。出来栄えはすごく良くて没頭していたのを思い出します。このサイトでもみれるのでぜひ「ART」のボタンを押してご覧になってください。
次に挑戦したのが、「Youtube」です。合計で8本くらい自分のことについて発信しました。旅のことや、英語のことなど、ほかのyoutuberを真似してトライしました。中々編集するのに時間がかかってYoutuberの凄さを痛感しました。ちょっとした撮影秘話なのですが、ホストファミリーにバレないようにこそこそやっていました笑。なんかバレるのが恥ずかしくて、、、。部屋で一人こそこそ撮影していたのを思い出します。そんな僕のYoutubeもぜひみてください!また、10月から待ちに待ったニュージーランド旅南島編が始まる予定なのでその様子も撮影できればいいなと思います。
その他にも、Netflixの海外ドラマを一気見したり、山に走りにいったりと一人の時間を有効活用していました。絵やYoutubeといった時間がないとできないクリエイティブなことをやれたのは自粛期間ならではのメリットでした。
しかし、僕の記憶では友達に会えなかったり、夕食の時にホストファミリーと会話のネタがなくて静かに食べたりと、辛かった記憶の方が強いです。ジェニスもゴードンも自粛期間で疲れている様子も伺えました。そんな中で、アラートレベル3に引き下がった時に、語学学校でできた韓国人の友達のチャンとジヘがビーチや山に歩きに行こうよ!と誘ってくれました。この二人のおかげで本当に心が軽くなったのを思い出します。友達と会話するだけでこんなにも心が楽になるんだと友達の大切さを身にしみて感じました。二人にはホント感謝です。
約2ヶ月という長いロックダウン期間は、多くの人にとって苦痛だったと思います。このような何もする事ができない期間の中で、精神面での健康状態を保てる人は本当に強い人だと思います。僕は、本当に憂鬱で、健康とは程遠い精神状態でした。しかし、そんな中でもホストファミリーや友達は優しく接してくれました。一人では決してロックダウンは乗り越えられなかったと思います。また、語学学校の先生が休校になる前にある言葉を生徒全員に教えてくれました。「Be strong,be kind」「強くあれ、優しくあれ」という合言葉のようなものです。辛い時はこの言葉を自分に言い聞かせていました。この言葉を信じることにより、辛いのは決して一人だけではないし、人に優しくされた分、優しくしようと前向きな気持ちにもなりました。この言葉は絶対に忘れないようにしたいと思います。
ロックダウンがあけて
ロックダウンが明けた今、日常のありがたみをすごく感じています。普通に働けたり、学校に通えたり、レストランに行けたり、ショッピングしたり、ごくごく当たり前の生活が戻ってきました。ロックダウンという非日常は日常の大切さを教えてくれました。でも、そういう大事なことをすぐ忘れてしまうのが人間の性のような気もします。すでに、自粛期間の記憶が薄れている人も多いと思います。僕自身も、やっと旅ができると浮き足立っていますし笑笑。
しかし、コロナはまだ撲滅されたわけではありません!再びロックダウンになるのはこりごりなので、手洗いとうがいはこまめにして、しっかり予防に務めましょうね!ニュージーランドからの僕の近況でした!