知りたいこと。それは、イロイロ。
久しぶりに文章が書きたくなりました。
ニュージーランドの魚工場でシーズンワークを終えた9月中旬。それを終えてから、現在進行形で自堕落なニート生活を送っています。といっても、10月いっぱいは南島を友達と旅して充実した日々を送っていたのですが、白昼夢から覚めて現実に戻っている状態です。ほんと楽しかったぁ!戻りたい!時よ戻れ!なんて思っても現実は僕を物凄い力で引っ張ってきます。とほほほ、、、。ニュージーランドの魅力も存分に語りたい!また、気が向いたらブログに書きますね。
今は、ネルソンのバックパッカーハウスにてyoutube見たり、本読んだり、時々気が向いたら南島を旅した時の動画を編集したりしています。自堕落の極み。自分自身は、怠慢なのに心の中の優等生が「お金やばいんじゃないの?働かないとダメだよ。」と時々囁いてくるので今日、近くのワインが有名なブレナムという街でワインヴィンヤードジョブ (ぶどうの木の剪定作業)の仕事にアプライをしました。これで、すぐに働けたらラッキーだなぁ。
まぁ、なんか文章をものすごく書きたくなったのでちょっと書くことを通して自分の頭の中整理させていただきます。
(集中して書きたいのに、他のゲストがでかい音量でロック聴き始めちゃったよ。ウルセェ。)
ちょっと『です。ます。』文から離れますね。
臆病者のバケットリスト
僕はバケットリストにやりたいことがいっぱいある。少しあげるとするのならば、このようなものだ。
・映画を撮る・南米縦断・ウォールアートを描く・興味の持った国へ行く・世界史、哲学、宗教学、経済学、国際関係論などといった自分が興味がある事柄について深く勉強する・小説を書く・自分自身についての本を出版する・英語レベルを高める(目標はネイティブに限りなく近づく)・スペイン語か韓国語か中国語を話せるようになる。・キャンプを極める・コーヒーやワイン、ビールといった飲料系に詳しくなる・ダイビングの資格を取る・自分の曲作る・お笑いのネタを書く・大学駅伝について詳しくなる etc…
細かく挙げるとすれば、まだまだある。やりたいことが山ほどある。興味が尽きないのが自分の長所というべきなのだろうか。けど、やりたいことが多すぎると優先順位をつけるのが苦手な僕は、どれから手をつけていけば良いか分からなくなり、結局面倒くさくなって何もせずに1日を棒に振る。結果、短所ともいえる。まぁ、極度の面倒くさがりなもので暇な時間があれば、大好きなお笑いとか大学駅伝の過去の映像とかをYoutubeで見てベットの上でスマホと睨めっこして朝から夕方まで過ごす。ダメなやつの典型ですわ。コンテンツの誘惑には勝てねえっす。
今は、20歳で旅をしてからずっと気になっていたワーキングホリデーをするということを現在進行形でしている。英語の勉強もしかり(サボりがちだが)。バケットリストからワーホリは無くなった。消す作業をしていると言えば少し寂しくなるような感じだが、興味を持った事柄に対して突っ込んで自分で経験しないと、心の中で経験していないことが不安に変わってしまうのである。だから、確認作業のようなものなのかもしれない。興味を持った事柄に対して当然ワクワク感もあるのだが、知らないと不安になる。それが脳の中で積もり積もってしまうと何から処理すれば良いか分からなくなる。だから、行動していると言っても過言ではない。僕は、臆病だから。
知りたいという欲求
上のバケットリストにあげた勉強系のものなど、例えば、宗教学であったり、世界史であったりがある。このようなものをなぜ学びたいかと思ったかというと、世界を旅してきた中でこれらの事柄について考えさせられることがたくさんあったからだ。インドに行った際、深く考えたのは「宗教」だった。インドは、ヒンドゥー教が人口の約80%を占めるのだが、ヒンドゥー教徒の信仰心がとてつもなく厚い事に衝撃を受けた。ガンジス川のほとりには沐浴をするために大勢の人が集まる。(ガンジス川はすべてのものを浄化されるとされるため、この世の苦しみから解き放たれて解脱できると考えられているから。)また、インドのバラナシに行った際に火葬場で燃やされた遺体をガンジス川に流す光景も目にした。話によれば、火葬するお金がない場合には遺体を焼かないでそのまま川に流してしまうらしい。 僕は、これらの光景を見たときに人々の生活においてこれほどまでに宗教が深く関わっているのだと感心した。日本という宗教に対しての信仰心が薄い国に生まれて、それまで深く考えることのなかった「宗教」という概念。そこでもっと勉強したいと思った。
また、なぜ世界史を勉強したいかというと、海外に行くたびにもっと知識を頭の中に入れておけば良かったと後悔することが多いと感じるからだ。新しい国に行くたびにもっとこの国について深い知識を入れておけば2,3倍楽しめるのだろうにと思ってしまうことが多い。
例えば、世界でとても有意名な観光スポットのエジプトのギザのピラミッド。今になってこそクフ王のお墓だと理解することができるのだが、行った当初はただ有名な場所だからとりあえず行ってみるかという安易な理由でその場所を訪れていた。もし、このときもっとエジプトの歴史に詳しくなっていたらもっと楽しめていたのだろうに。今になって、高校の時に世界史の授業をしっかり受けておくべきだったと深く反省する。
宗教学も、世界史も旅を始めてから興味を持つようになった。知りたいことはたくさんある。例えば、イスラエルについて。宗教的にも、歴史的にちょっと複雑な背景を持つ国などは深く掘り下げて勉強したい。多分将来行くことになるだろうし。知らないことを知って、モヤモヤをなくそ。Amazon kindleでそういう本片っ端から読んでみよっかな。
勉強することは自由と感じている
少し、学生時代について遡らせてほしい。中学、高校と僕は受験のために勉強をしていた。その記憶は自分にとって決して良い記憶ではない。中学生の頃こそ、学年では上の方の順位だったが、高校に入った途端に一気に挫折を味わった。高校に入学してから初めての学期末テスト。クラス順位はほぼビリ近かった。そこで、自分よりも勉強のできる子はたくさんいると知った。こんなにも自分は勉強ができないものか。勉強が大嫌いになった。ひどくコンプレックスを持ってしまった僕は、その後も変わらずに、1年2年3年と成績はすこぶる悪く、大学受験にも失敗して浪人という道を選んだ。仙台の予備校に寮に住みながら通う事になったのだが、ここにおいても、周りは勉強ができる子ばっかりだった。ひどくストレスだった。毎日10時間も勉強していたのに成績は少し上がるだけ。周りの子たちは得意科目の点数を自慢してきて、得意科目なんて持っていなかった僕は偏差値50近くをうろついていた。
勉強する事に対して、なぜにこれほどまでに競わなくいてはいけないのだ。学年順位をつけられたり、偏差値を勝手に決められたり、結果を突きつけられるたびにひどく劣等感を抱えてしまい、この世の中では勉強ができる子がいい選択をできて、勉強ができない子は選ぶ権利すら持たせてもらえない。そんなことさえも考えるようになった。結局、自分が入りたかった大学にはいけず、滑り止めの大学に進学する事になった。結果、その大学すら3ヶ月で辞めてしまったのだが。もう勉強したくない。そう思ったから。
勉強をする事に対して、深く劣等感を持つようになった僕は勉強から逃げてみることにした。旅館で働いたり、海外に行くようになったり、好きなことをとことんやってみるという生き方を選んだ。すると色々なことについて気づくことが多かった。まず最初に気づいたのは、いい大学を出て、いい企業に就職することだけが人生ではないこと。中学生のあたりから、そのレールを走っていればなんとなくいい人生を送れるのだろうと思っていた僕は、自由に生きてみることを通してそれだけが人生じゃないと気づくことができた。もちろん、しっかり大学でて、就職をして日々格闘しながら生きている人は本当に凄いと感じるから僕は絶対に批判はしない。だが、僕にとってそのレールはみんな早く走っていくもんで、のろい電車の僕はついていけなかった。だからこっそり、はみ出た。
また、他に気づいたことといえば、自分の好きなことを勉強することは苦痛ではないこと。高校の時から英語を話せるようになりたいなと考えていた僕は現時点でニュージーランドにいて、英語を使いながら生活をしている。英語を勉強して、勉強した分だけ知識がついて、話せるようになる。さらに実際に日々英語を使うという実践を通して、試行錯誤をして自分がレベルアップしていることに気がつく。それがとても楽しいのだ。勉強した分だけ、結果を感じることができる。この高校、浪人時代に感じることのできなかった勉強の喜びを今は強く感じることができているのだ。学生時代を振り返ると、上に書いたように、他人と成績を比べることを通して自分は勉強ができないやつと勝手に思い込んでいた。けど、勉強をすることの本質は他人と成績を比べることではない。興味を持った事柄に対して、自分のペースで好きなだけのめり込んでいい。そして、自分の中で知識をアップデートして、知らなかったことを知り、満足を得る。そこには自分自身以外の他の人はいない。もう他人を気にすることもない。競争しなくていいのだ。
今は、上にあげた宗教学とか、世界史とか。あとは、国際関係論とか、経済とか。世界がどのような歴史で今に至って、そこに経済と宗教はどう絡んできているのか、点と点を結び合わせて、線を作り、知らない不安から解消されたい。また、英語を勉強することは絶対世界を知る上で不可欠になるから、引き続き継続していきたい。
勉強することは自由だ。でも、面倒くさがりな僕は気が向かないとやらないだろうな。
まとめ
長い文章を読んでいただきありがとうございました!僕自身の中で、知識を頭の中に入れることは、社会で生きていくうえで不安をなくす作業のような気もしています。もちろん、純粋に、これについて勉強したいだとか、あれについて勉強したいだとか、知識欲求は深くあります。ただ、日々起きている世界の情勢などを把握するためには歴史を知ったり、政治、経済を知ったりすることが深く重要になってきますよね。自由を感じて勉強はできるのですから、社会と自分はどう関わっているのかを深く意識し、知りたい事柄については僕の歩幅で勉強をしていこうと思います。
久しぶりに集中して文章書くと、疲れますね笑笑。では、また。